【日記】「この世界の片隅に」を観ました。
皆様
お世話になっております。
plupです。
テーマを絞るべきなのでしょうが,今回は,最近観た「この世界の片隅に」について感想を書きたいと思います。
思い返せば,感想文なんて書くタイプではなく,夏休みにはなるべく薄い本を選んで,原稿用紙のマスを埋めるためにただただ言葉を並べていた口です。
一回も賞の選考されたことはなかったし,着眼点もありふれていたように思います(独創性欲しい!)。
そんな私ですが,遅ればせながら「この世界の片隅に」を観て,いろいろ感じたので,自分でその思いをちゃんと整理する意味も込めて徒然と感想文を書いてみます(まず,「いろいろ感じた」っていう表現がなんとも言えないですね。)。
※なるべくネタバレしないように書きます。
※陳腐な可能性大です。
※戦争についてそんなに詳しくないです。
さて,物語は第二次世界大戦がそろそろ始まりそうな頃の広島から始まります。
と言うものの,じゃあ,その頃の庶民皆が目をギラギラさせながら着々と戦争への準備をと進めているかというとそうではなく,そこには,今と変わらぬ「平穏」が流れていました。
いずれ落とされる「悲劇」の予感もなく,人々は街をぶらついたり,仕事したり,笑ったり,泣いたり恋をしたりと,めいめい自分たちの日々を謳歌しているのでした。
ときは進み,舞台は,開戦後の山口県に移ります。
そこでは,人々の日常の中に「配給の減少」,「旅行の規制」,「軍艦の往来」,「街ゆく軍人」と言ったが異物が何ら違和感もなく溶け込んでいました。
次第に,「防空壕」や「徴兵令」も日常の中に侵入し,どんどん人々の日常(普段)が上書き更新されていきます。
余りに大きな力に抗えず(抗う気力なく),人々にはただ現実に流され,更新された現実を受け止めることしかできません。
戦争という状態に疑問を持つことは許されていません。
街に降る爆弾,大切な人の負傷や死までも,そうした日々の中で,ただ目の前を通過していくのでした。
戦争前の日々との対比で改めて戦争の凄惨さと行き過ぎた時代というものの怖さを痛感しました。
当たり前ですが,死に行く人々,一人一人に意思があり,気持ちがあり,家族がいて,大切な人がいたことを気づかされました。
今を生きる私たちの多くは戦争の状況,結果を事後的に史実として学びますが,
(少なくとも私の乏しい想像力が負いつかないためか,)どこかで戦争のことを私たちの世代とは隔絶したフィクションのように感じてしまっていたところがあったように思います。
質的に異なるかもしれませんが,今を生きる私たちが既に携帯電話の無い生活を想像できないように。現実なんだけどフィクション感。
想像してもいまいち現実味のない感じ。
それが,今回この映画は主人公を含め登場人物皆が私たちと何ら変わらない人間であり,彼らを通じて戦争を捉えているだけに戦争というものの輪郭をとてもリアルに感じ,そして,戦争も戦争に向かう時代に対しても心から恐怖を抱きました。
思い返せば,この手法は,能年玲奈を一躍お茶の間のスターに押し上げたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」にも通ずるところがあるように感じました。
因果なものですね。
最後に一つだけ,(ネタバレ表現を含みますが,)印象的だったシーンは,終戦の場面です。
ラジオを聞きながら,誰かが発した「はい。終わった。」という言葉。
あの一言に,庶民がどれだけ時代に翻弄されていたのかが如実に現れていたように思います。
他にもこの映画は音楽,作画を含めて素晴らしい点がたくさんありましたが,これ以上書くと,散文してしまいそうなので,この辺で止めておきます。
なお,一息で書いたので,誤字,重複表現があるかと思いますが,その点はすみません。最後に謝ります。
お読みいただきありがとうございました。
以上です。